最近のクイズ番組などで、当たり前のように使われている言葉の「本当の意味はどっち?」 などというのがある。よくあるのが、「情けは人の為ならず」。「情けをかけると、その人のためにならない」というのは誤りで、「情けをかけると、やがて自分に戻ってくる」というのが真の意味である。
ちょっとした言葉の捉え方の間違いだけで済むなら、雑学として楽しめば良いのだが、その言葉が、人の行動や、ものの考え方にまで影響されるものであるなら、そのちょっとした間違いではすまなくなる。
ベトナム人であろうと日本人であろうと、最近の若者と話していると、少し違和感を覚え残念に思うことがある。
Boys, be ambitious!
誰もが知っているクラーク博士のことばである。
これは、次代を担う若者に対して、大きな夢を持てと叱咤激励したものと思われがちだが、そうではない。
クラークが、この講演を行ったのは、明治の初期であるから、日本が飛躍的な発展を始めた時期である。今のベトナムと同じように、若者達は、広い世界に接し、大きな夢を抱き、胸を踊らせていた時代に違いないから、わざわざ、そのようなことを言う必要はなかった。
クラークは、意気盛んな若者たちに対して、人間としての重要な心得を説いたのである。
Boys, be ambitious.
この後に次の言葉が続く。
Be ambitious not for money or selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.
青年よ、大志をいだけ。
お金のためや、自分を大きく見せるためではない。
名声とか呼ばれる虚しいことのためではない。
人としてあるべき、全てのことを達成するために大志をいだけ。
理想を求め、突き進むことができるのは若者の特権である。
Be ambitious. の意味を取り違えないで欲しい。
以前紹介した「安岡正篤1日1言」の6月2日に「青年の精神」として以下のように書いている。
「おとなを恥じさせるような純真さ、若々しい情熱と気魄、不羈奔放な理想と寝食も忘れる勉強ぶりと偉大な人物に私淑し、万巻の書を読み、師友を求め、名山大川に遊び、酔生夢死にあきたらず、何か感激に死のうとするような やむにやまれぬ魂こそ青年の尊い精神である。」
私もいつも青年であり続けたい。
私も少年であり続けたい。
本当にそう思います。
打算的ではなく何かに向かって頑張っている姿は回りの人にも力を与えてくれます。
オムロンから体スキャンと言って身体の体年齢を測定する機械が出ています。
精神的な若さを計る機械は今のところ残念ながらありません。
しかし若さは自然と溢れ出します。
真摯な気持ちでまっすぐまっすぐ自分を鼓舞しながら頑張ってる人は間違いなく若いです。
社長はベトナムでは30代と言われると聞きました。
同級生として嬉しいです。
いつまでも少年のような社長でいて欲しいです。
投稿情報: 花風紋 | 2009年12 月 5日 (土) 13:43