私は、だいたい毎日、神戸の自宅から姫路にある本社に電車通勤をしている。
JR三ノ宮駅から新快速に乗ると35分位のところを、普通電車で約1時間かける。
この間、須磨ー垂水ー舞子と風光明媚な海岸線を電車は走り、明石海峡大橋や淡路島が見え、
1日のスタートとして、落ち着いた気分にするには、もってこいだと思っている。
この電車は、私の書斎のようなものである。
「主人には書斎というものが要る」というのは、後述する安岡正篤の言葉である。
この「斎」にて、英語やベトナム語を勉強したり、この安岡正篤の本を読む。
安岡正篤との出会いは、またの機会に話すとして、氏は、東洋思想の研究家で、人間学の教えは、あまりにも有名で、
私の説明など必要ない。
「安岡正篤 一日一言」という本には、365日、毎日、氏の語録が収められており、今日8月6日は「木鶏」である。
荘子に
「紀渻子、王の為に闘鶏を養う。十日にして而して問う、鶏已きか。曰く、未だし。
・・・中略・・・
十日にして又問う。曰く、幾し。
鶏、鳴くものありと雖も、已に変ずることなし。之を望むに木鶏に似たり。その徳全し。
異鶏敢えて応ずるもの無く、反って走らん。」
実はこの話、言葉が難しくて中略した部分が大切で、この闘鶏が、
相手を見ると威張った態度をする
↓
相手を見ると興奮する
↓
相手を睨みつける
↓
何があっても動じない、即ち、木で作った鶏のよう
に、修練を積んでいく。
69連勝を続けてきた双葉山が敗れ、その敗戦の後 「イマダ モッケイタリエズ」と電報を打ったのは有名な話だが、
私などは、その言葉すら恥ずかしくて言えない。
まだまだ、修練が足りない。
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